調和の中。

自分のやりたいことをしようとするとき、

恥という感情がブレーキをかけてくる。

こう思われたらどうしよう…

失敗をしたらどうしよう…

受け入れてもらえなかったらどうしよう…

どうしよう、どうしよう。

何故受け入れてもらえないか、

何故できないと思うか、

掘り下げると、必ず答えがある。

 

そもそも、

自分と他人の考えに違いがあるのは

当然のこと。

 

受け入れてもらえないか、

という思いは、

逆にいえば自分の甘えである。

受け入れてもらえなければ、

わかってもらえるように精神誠意、

話す努力をすればいい。

受け入れてもらえなければ、

相手の考えを聞けばいい。

受け入れてもらえなければ、

相手と擦り合わせていけばいい。

受け入れてもらえなければ、

受け入れてもらえないことを

受け入れればいい。

 

自分が相手の意見や自分自身を

受け入れようとしていないとき、

どうしよう、の思考が巡りだすことが多い。

また、この恥ずかしいという気持ちは、

感じたくない気持ちの一つでもある。

そのため、この恥ずかしさを感じないために、

人と同じようになろうとする。

想像の中でみんなはこう思うをつくり、

その枠に収まろうとする。

想像の枠に収まることで安心はあるかもしれないが、

自分を失っていく。

本来の自分とは異なる自分を演じることになり、

満たされた気持ちや幸せを感じられなくなる。

不満、欠乏感が募っていく。

そもそも、

世の中そんなに誹謗中傷、

攻めてくるものなのか?

 

攻めてこられたら、

そういう考えもあるんだ、

と受け入れればいい。

 

常に相手と戦う気持ちがあるのは

自分ではないか?

恥ずかしさがあっても、

恥ずかしい自分を受け入れればいい。

もうどうにでもなれ~

と力まなくてもいい。

力んでやったとしたら、

今度は相手の反応を無視することにも

成りかねない。

 

大切なことは受け入れ、

常に変わっていける、

ニュートラルな心。

調和は我慢ではなく、

受け入れ、納得してこそ

調和が生まれる。

 

例え、意見を受け入れてもらえなくても、

お互いがそういう意見もあるんだね。

と、調和があれば、

恥ずかしさはないはずだ。