納得し、諦める。
“諦める”という言葉は、
断念したり、悪い意味で使われることが多いですが、
本来は仏教からの言葉で、
“諦観”と書き、“あきらかに観る”という意味でした。
真理である因果の道理を明らかにして観るということです。
問題がおきたとき、
何かのせいにするのではなく、
原因を見極め、納得し、
執着や未練を持たないことをいいます。
何か問題があるときは、
投げやりになったり、
いじけたりせず、
よくよく丁寧に見極めれば、
自ずと執着がなくなるでしょう。
そこには納得があるからです。
頭で思い込もうとすると苦しく、
何か思いを抑圧するので、
未練が残り、なかなか手放せず執着してしまいます。
納得があるときは、
自然と軽くなるものです。
時間がかかってもいいので、
納得いくまでみつめていきましょう。