ものの見方。

人の一面を見て、

○○と決めつける。

自分の一面を見て、

○○と決めつける。

 

考え、意図さない限り、

これの繰り返し。

 

人の認識は過去から出来たものであり、

片寄りがあれば、

誤解もある。

不完全なものなのに、

完全なものだと思い込んでみている。

人はみな、

自分のフィルター越しに世界を見て生きている。

毎日は繰り返しではなく、生き返り。

良くも悪くも、

今日という今を新たな自分として。

昨日までの思い込みのフィルターを

外して生きよう。

自分の都合のよいフィルターは

何の成長もない。

意図して取捨選択し、

物事を判断する。

選び直しをしない限り、

自分の都合のよいフィルターを

かけてしまう。

決めつけるということは、

可能性を狭め、

これ以上、見ようとせず、考えようとしなくなる。

可能性がないのは、

自分にとっても、相手にとっても、

何も発展はなくなる。

決めつけず、裁かず、

あらゆる方向から、

俯瞰し、立体的にみていこう。

 

 

お金の循環。

 

お金の豊かさは、

循環であり、流れです。

社会的経済問題があるのと、

自分が豊かになる流れは別のものなのです。

いい循環、途切れない流れは、

喜ぶもの。

もしくは、苦→快に変えることができる時に、

価値が生まれます。

要は“感謝”の流れなのです。

このことを忘れ、

他から奪おうとしたり、

他の喜びを無視したものを与えたり、

自分さえ良ければいい。

独り占めしようとすると、

一時豊かさを得ることができても、

やがて豊かさは離れていきます。

 

また、自分が支払ったお金や物は、

誰かの豊かさになり、

誰かの豊かさが、自分に戻ってくる。

ということを忘れてはなりません。

その人からでなくても、

巡り巡って自分に戻ってくるのです。

持っているだけでは、

流れを止めてしまうので、

本当の豊かさではないのです。

流れを止めてしまうと、

減ることへの不安、

奪われる恐れに抱くかもしれません。

他が喜ぶものを与えていれば、

減ることはないのですから、

目先のことに囚われずいましょう。

 

この社会は、

自己満足にならず、

利他主義で行動したものが豊かさになる、

という法則なのです。

 

光の中に。

悩んだり、悶々としたり、

スッキリしない…

 

でも、本当は核の部分は何も悩んでいない。

そこから離れているから

何か不安定で、何か足りなくて。

何か。

この何かを解消しないと、

思い方を変えようが、

受けとり方を変えようが、

表面だけをどうにかするようなもので、

また、何かが始まってくる。

 

悩み、苦しみ、

闇といわれるものは、

隠したり、消したりしなければいけないと

思われがちですが、

そうなのでしょうか?

 

問題だから解決したい。

また、苦しい経験が救いを求める。

だからこそ、

作り出した根源を見ようとする。

闇の向こうには、

核に繋がる鍵が実はあったのです。

闇には根源にふれる力がある。

そうでなければ、

なぜ、闇を大切に持ち続けるのでしょうか。

ただ苦しむだけ?

ただカルマの精算?

そういう運命?

宇宙はそんな薄っぺらいものではない。

だって、愛でできているから。

愛に戻れるように

その出来事があっただけ。

計り知れない孤独や不安も

その先には、必ず愛に辿り着く。

摘み取る必要なんてない。

バランスを崩してただけ。

詰め込まれ、追いやられたものを

解放させてあげればいい。

その時は、

成長の足を引っ張っていたようにみえて、

貢献してくれる。

実は、ずっと応援してくれてたのかも。

長い間、

闇に追いやって、いらないとされていた部分も

かけがえのない自分の一部。

闇しか見えてなくても、

光の中にいたんだょ。

こだわり

現実をみて、

○○がない。

○○でないと。

というこだわりは、

自分がつくった制限です。

 

○○でないと幸せではない、

○○があれば幸せ。

というのは、

まわりやモノに振り回された基準なので、

常に不安や焦り、不満がでてきてしまいます。

そのこだわりは

本当に必要なのでしょうか?

新しく変わりたいと思うときは、

今までの当たり前になっていた思い込みを見直し、

選び直すことが大切です。

人生は創造主(神、仏、宇宙…)の采配によって

動かされている。

すべては愛にもどるためにすべてがある。

という視点があれば、

今という現実は最善ベストであり、

今の自分にとって満たされた状況なのです。

今ある幸せを感じ、

満たされていることに感謝して生きている方が

自分自身、幸せです。

創造主は必ず、裏切らないし、

不幸や不満をつくりだしているのは

自分自身だ、ということ。

 

放っておいて、 

何もしなくても本来、幸せですし、

幸せになれるのです。

その幸せになれるのを

阻んでいるのは自分自身のこだわり。

仏教でいう、執着です。

 

そもそも、幸せになりたくてこだわりがある。

でも、そのこだわりが自分を苦しめるなら、

いらないのでは?

こだわりがない方が視野を広げてみることができ、

幸せをたくさん気付き、

感じられるものです。

ちょっとしたことでも、

自分が幸せと感じられれば、

心は満たされていきます。

心が現実をつくっているので、

満たされた心は満たされた現実をつくっていくのです。

今日という日を、

不満や不安で満たすのも自分。

幸せや感謝で満たすのも自分。

自由に選択できるからこそ、

何を意図して選択するかが大切ですね。

やまびこ。

普段思うこと、

相手に対して抱く感情は、

自分の中では“相手”を思っています。

でも潜在意識からみれば、

自分に対して思っていることになるのです。

なぜかというと、

潜在意識には“人称”が認識できないからです。

つまり、

相手を悪く思うときは、

自分が悪くなるように祈っているようなものです。
逆に、人の幸せを喜ぶと、

自分も喜ぶことがおきるのです。

また、幸せな人が近くにいるということは、

自分ももうすぐ、

そうなりますょ、というサインです。

その前触れを妬んだりしたら、

自分の幸せを遠ざけてしまいます。

「そんな風に思えない」と思うときは、

思っちゃいけない、ではなく、

認めてあげ、最後に、

でも、大丈夫!

次は自分の番だから、

と楽しみにその幸せな現実を待ちましょう。

 

自分の気持ちや感情は、

相手に対してではなく、

自分に返ってくるから。

愛する形。

愛すること、とは解放してあげること。

与えることも大事だが、

それよりも自分の枠に閉じ込めようとせず、

嫌がることをしないこと。

どんだけ与えても、

これをしてしまうと、

帳消しどころか、嫌われる。

自分が思う愛ではなく、

相手の望む愛を知ること。

また、相手を知ることで自分を知ること。

禁煙。

潜在意識は

願ったことが叶います。

叶わない人は、

不安になるから叶わない。

(不安な状況を叶える)

 

この不安にならないのが

難しいですね。

 

では、どうしたらいいか?

 

どちらでもいい、

ニュートラルな気持ちでいる。

例えば、禁煙。

吸ってもいいし、

吸わなくてもいい。

ただ、昼御飯までは我慢してみよう。

それが過ぎれば、夕食まで、

それが過ぎれば、

夜まで。

1日過ぎれば、

明日もこの調子で。

大切なことは

いつでも吸ってもいい、

と許可が出ていること。

まわりに宣言しないこと。

この緩さが潜在意識の現状維持ができ、

苦しまず禁煙ができます。