パートナー。

 

自分を自分で癒し、愛してあげること。

まずは、認める。

①モヤモヤする感覚や、イライラする感情、

 コリや痛みなど体の感覚など、

 自分が不快、違和感に感じてるものをみつける。

②①で感じた不快、違和感②感じるものを

 ただただありのまま、受け入れる。

 自分の叶わなかった思いや、満たされない悲しみ、

 我慢させられた憤りなど、

 感じたらだめ、と思わず、受け入れてあげる。

③自分で自分を愛し、慰め、労り、

 寄り添い、満たす。

④今を大切にする。

 

この今を大切にすることが大切です。

満たしてあげる。

愛してあげる。

わかってる、と思っても、

深く深く掘り下げてあげないと

なかなか感覚では分かりにくいものです。

本当に理解できたときのサインは、

自然と力がみなぎってくるかです。

満たそうと思っても出来ないときは、

まだ気付いてあげれてない、

感情があるのかもしれません。

欲求があるのかもしれません。

良い、悪いではなく、

ゆっくり、丁寧に、

自分をわかろうとしてあげるが大事。

どんな自分も大丈夫。

 

損得感情。

人は色々な価値観や思い込みで

生きています。

自分と同じ人はいないので、

合わなくて当たり前。

どんな相手どあれ、

色々な感情を抱かしてくれて

感謝です。

自分の人生の中で、

たとえ、むかつくーという感情であっても、

感情を感じさせてくれて感謝です。

人はみんな光の存在。

同じ存在。

その周りの価値観などが違うだけ。

相手からみれば、

自分もむかつかれてるかもしれません。

何であれ、

過ぎ去ればすべて学びの種になっている。

生きてるからこそ、

味わえる感情。

体があるからこそ、

学びの体験ができるのだから、

むかつくや悲しいと嘆くより、

感謝して過ごす方が自分自身が楽です。

失うものなど何もない。

死んでしまえば、失うのだから。

あの世に持っていけるのは、

魂の意識だけ。

失うものがないのに、失いたくない…

そもそも、すべて神仏の創造されたものなのだから、

最初から自分のものなど

何もないのです。

自分のものだという思いを

与えてもらっていると思えば、

感謝に溢れた毎日です。

こどもの積み木のおもちゃのよう。

積み立てて、色々なものを作ったり、

次はあの積み木があればなぁなんて思ったり。

こどものその積み木は

誰かに与えてもらったもの。

お友達が貸して、と言って、

いや~と1人占めしてたらどおでしょう。

ありがとう、と言わなくても、

毎日与えられたものを

楽しそうに大切に。

仲良く遊ぶ姿は、

与えた方も、よかったと思うと思います。

神仏もきっと、人間をそういう風にみていると思います。

大人になると、お金というものがあるから、

“自分が買ったから自分のもの”

と思い込み、大切な部分が見えなくなってしまうのです。

感謝の気持ちを忘れず、

人のためになるような使い方をしたら、

必ずお金の循環はよくなります。

より、お金が動くような仕事が舞い込んできたり、

物を手にできたり。

人間が地球生活をするのに

体という服を着ているだけで、

魂の存在です。

エネルギー、意識、など

自分がしっくりいくものでいいと思います。

大切なことは、

目にみえないところに

意味があるということです。

お金や対人関係、

すべては目にみえないところをみる視点を

つけることが、

気付き、学びにつながっていきます。

物質的な損得と、

魂的の損得は違うのです。

 

 

 

 

執着。 

“恋人が欲しい”という願い。

勉強やスポーツ、仕事と場違い、

対、人があることで、

縁もあることなので、

努力だけでは叶わないことがあるかもしれません。

 

願望に執着するより、

今いる周りの人たちを大切にし、

笑顔で暮らすことです。

 

恋人がいないから

満たされない気持ちで毎日楽しくない。

のではなく、

満たされない気持ちで毎日楽しくない。

という気持ちで過ごすから、

満たされない=恋人ができない

のです。

 

よく、もういいや~

好きなことしよう。

自分磨きをしよう。

と手放したら、

恋人ができた。

と聞きますが、

まさにそうですね。

 

そうは理屈でわかっても、

すんなり手放せないときは?

 

執着してる理由をあげる。

というのも、一つの手立てです。

が、なかなか手放せないときは!

 

“執着してる”と認めることです。

執着してる→手放さないと→手放せない→どうしよう

というのは、

執着を排除しようとすることです。

ですので、

執着してることを認めるのです。

そこに、笑ってあげていいくらいです。

認めることで、

あってもいいんだ、と思い、

段々と気持ちが薄れていきます。

笑ってあげると安心感も増します。

そのうち、

どうせ、叶うんだから~ 

と、余裕まででてきます。

 

人は何かを始めることよりも、

今の習慣化されているものを

止めることの方がエネルギーを必要とします。

だって、

習慣化ということは無意識、当たり前。

ということは潜在意識に入っているということです。

まずは、

執着している自分を認めることです。

 

 

 

納得し、諦める。

“諦める”という言葉は、 

断念したり、悪い意味で使われることが多いですが、

本来は仏教からの言葉で、

“諦観と書き、“あきらかに観る”という意味でした。

真理である因果の道理を明らかにして観るということです。

問題がおきたとき、

何かのせいにするのではなく、

原因を見極め、納得し、

執着や未練を持たないことをいいます。

何か問題があるときは、

投げやりになったり、

いじけたりせず、

よくよく丁寧に見極めれば、

自ずと執着がなくなるでしょう。

そこには納得があるからです。

頭で思い込もうとすると苦しく、

何か思いを抑圧するので、

未練が残り、なかなか手放せず執着してしまいます。

納得があるときは、

自然と軽くなるものです。

時間がかかってもいいので、

納得いくまでみつめていきましょう。

不安な思考。

すごく寂しくなったり、不安になったり…

一度思考が回り出すと、

止まらなくなる。

ダメだ、と気分を変えようと思ったり、

受け止めようとしたり、

あれやこれやしても、

モヤモヤが残りスッキリしない。

 

やっぱり無力。

やっぱりダメか…。

と過ごす時間は、

ほんとに苦しいもの。

 

そんなとき、

抵抗せず、落ち込めばいいし、

自分を攻めてもいい。

最後に

“そんな風に思ってた時期もあったな”

“そんなこともあったけど、乗り越えたな”

“昔の自分が懐かしい”

と、今の不安を過去に変えると楽になる。

 

楽になるだけでなく、

今の不安を過去のものとし、

乗り越えた現実の状態をつくる。

自ずと、現実も乗り越えた現実になる。

 

排除したり、抑圧せず、

無理にプラス思考にしようとしたら、

苦しくなる。

ただただ受け止め、聞いてあげても

満たされない。

 

ただただ、

過去を懐かしむみたいに感じればいい。

 

 

愛から。

過去、傷ついたり、愛に対して臆病になっていると、

愛を避けようとしてしまいます。

けれども人は愛からできている存在なので、

愛から離れると、

苦しく、空虚感に苛まれてしまいます。


過去、どんな苦しみがあったとしても、
人は愛から離れられないものです。 

愛を我慢することなく、

愛しましょう。

 

勇気はいらないし、

努力もいらない。

ただただ心の目を開けるだけ。

 

 

忘れられた自分。

抑圧される感情

・悲しみ

・怒り

・寂しさ

・敗北感

・焦燥感

・欠乏感

・憤り

など…

 

自分が自分を批判やジャッジをし、

抱え込み、抑圧。

本来、闇はなく、あるのは光だけ。

 

闇には光を。

光とは目には見えない

気付き、許し。

強さ、力である。

 

 

光は闇がなければ、

光とわからない。

闇があるからこそ、

光がみえる。

 

空気があるのが

当たり前すぎて感じないように、

本来光の存在である私たちは、

闇があるからこそ、

光の存在だと再確認している。

光の存在だからこそ、

闇が苦しい。

もともと闇の存在なら、

居心地がよく、

光を求めないはずです。

 

どうせ…

だって…

いじけていたり、

諦めているだけで、

何かの拍子に心の琴線にふれれば、

涙が出てくる。

 

やっぱり我慢していただけで、

本当は闇にいたくないんだ。

 

闇が似合ってる。

闇しか無理。

 

そんなことない。

 

みんな同じ、光の存在。

 

いじけても

抵抗しても、

みんな光に戻るようになっている。

違うのは、

どのタイミングで気付き、

認めるだけ。

 

遠回り、と思ってるのは自分。

ほんとは、

光の中で守られ、満たされ、

生きている。

みんな光の中にいることに

気付いていないだけ。 

 

何があっても大丈夫。