罪悪感。

罪悪感を感じると
とても苦しくなります。
意図して考えないと、
出来事と共に瞬時にスイッチが入ってしまう
思考パターンがあります。
まるで、コントにある、
タライが落ちてきたよう。
機嫌よく歩いたら、まさか、上から?!
ガシャーンと落ちたら、
数分前までの自分ではない。
 
罪悪感。
罪を犯した、悪いことをしたと感じること。
 
・やりたいことをやったとき。
・相手の要望や誘いを断ったとき。
・褒めてもらったとき。
 
罪悪感を感じる裏には、
必ず
~すべき
~した方がいい
など、自分の価値観が潜んでいます。
 
なので、
・~すべき、なのに、やらなかった(断ったetc…)
・~した方がいいのに、やらなかった
 ・自分はそんなに〇〇でないのに、褒められた
 
この罪悪感は
自分を表現したり、
意見を言ったとき、
自己肯定感が低い人は褒められるときに
出てきます。
 
逆に、
やりたくもないのにやったときは
我慢や不満は出てきても、罪悪感は出てこないでしょう。
だって、
我慢してまで、やったんだから。
言うこと聞いてあげたんだから。
 
この罪悪感の自分の価値観に気づかないと、
どちらに転んでも苦しくなります。
 
 
よく、みつめよう。
相手は
悲しむ?
困る?
怒る?
自分がそう思ってるだけのことが多いのです。
実際、悲しんだり、困ったり、怒ったりしたとしても、
自分の意見や感情を
大切にしてあげるのは悪いこと?
 
それなのに、
相手に申し訳なくて。
申し訳ないから、苦しみを感じないと…
 
自分で自分を罰することで、
納得する。
 
一見、弱者にみえる罪悪感。
でも、実は、
・悲しむと感じる時は、
 相手は自分を頼っている、と思っている。
・困ると感じる時は、
 相手は出来ない、と思っている。
・怒ると感じる時は、
 相手をダメなやつ、と思っている。
 
自分がやらないと。やってあげないと…
弱者に見えて、
・自分の方ができる人
という前提がある。
 
弱者ではなく、強者。
しかも、
苦しみまで味わって。
なんて、いい人。
 
自分ができるか、できないか。
やりたいか、やりたくないか。
自分を大切にし、相手も大切に。
自分を信じ、相手も信じると、
 自ずといい関係は築いていけます。